書誌のオンライン検索 岩崎文庫 善本 画像データベース

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岩崎文庫 善本 画像データベース


 この画像データベースは、岩崎文庫の善本のうち、日本において、奈良朝—平安朝期に書写された漢籍の古写本を選んで、全頁資料として作製したものである。中国では唐代に当たる時期の写本で、他には殆ど存在しない貴重な古文献の資料である。  

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2007/3/22公開 8/24解題追加 10/31画像追加
日本学術振興会 平成18〜科学研究費補助金の成果です。

分類別リスト書名リスト

国宝
 経部
【書名】古文尚書巻第三夏書禹貢篇(首欠)、巻第五商書第九盤庚篇上(首欠)至第十七徴子篇(尾欠)、巻第十二周書第二十六畢命篇(首欠)至第二十九呂刑篇
【編著者】
【書写事項】初唐期鈔本
【巻冊】巻子一軸
【書誌事項】新補縹色唐紙銀二重花卉文表紙、新補紫檀丸軸巻子装、本文薄手樹皮紙
1紙26.8〜26.9㎝(截落あり)×49.5〜50.0㎝全3紙(全長1138㎝)
烏糸単辺界高約21.9〜22.0㎝
有界毎行18〜19字
〔延喜年間〕朱筆(草体及省画仮名)・破音・声点(六声)・ヲコト点(第五群点)、〔延喜年間〕墨筆二種(草体及省画仮名)・ヲコト点(第五群点)、〔延喜年間〕角筆(草体及省画仮名)、〔延喜年間〕青紙不審紙、〔鎌倉中期〕墨筆片仮名・返点・ヲコト点(紀伝点)
紙背に室町後期写『元秘抄』書写あり
【解題】尚書(書・書経)は中国最古の史書で儒教経書の一。古く西周初年(前11世紀)に作られ、のち戦国時代(前3世紀)に至る頃迄書き加えられた。現在、58篇のみが残っており、その中28篇は漢の孔安国が注釈した古文尚書といわれる。しかしこれは東晋(4世紀)の梅賾の偽書であることが、清の閻若璩により証明された。
広橋家旧蔵本。平安中期初延喜頃の訓点が加筆され、延喜頃の明経道の学問の実態を伝える初期漢籍訓点資料。
 本書は、尚書としてはわが国最古の伝本で、唐太宗の諱「民」字を避けていないことから、太宗以前、唐初の書写と考えられる。本文は隷古定といわれる古い書体で書かれているが、この書体は、魏晋以来唐初に至るまで用いられ、唐玄宗の天宝年間(742-55)以来、命により、改めて今文体の楷書で書かれるようになった。そのため、中国では隷古の旧本は失われていたが、近年、敦煌石室より隷古の残本が発見されてから、従来のわが国所伝の旧本も特に学界に重視されるようになった。即ち現行尚書の誤りを正すことも出来、中国経典の疑案を解く貴重な古典である。また本文に施された朱筆ヲコト点は、わが国語学上の重要な資料である。
 所収篇は、巻第三夏書の禹貢篇(首尾欠)、巻第五、商書盤庚上第九(首次)、中第十、下第十一、説明上第十二、中第十三、下第十四、高宗仔日第十五、西伯戡黎第十六、微子第十七、及び巻十二、周書の畢命第二十六(首次)、君牙第二十七、冏命第二十八、呂刑第二十九の計十四篇。もと九条家旧蔵であったもので、現在は御物(宮内庁書陵部九条家本四巻(巻三・四・八・十・十三)及び東京国立博物館神田喜一郎氏旧蔵本一巻(巻第六残巻)と共に一連をなし、共に紙背には『元秘抄』が書写されている。元来、同書を表として一巻に仕立てられたものと考えられ、岩崎文庫に帰して後、現在の形となる。『元秘抄』は菅原長親、或は高辻長成の編纂といわれ、和漢の年号選字に関する種々の記録をあつめたもので、これは後円融天皇(1371-92)か、後小松天皇(1392-1412)の初め頃の書写と思われる。
(『岩崎文庫貴重書解題Ⅳ』p.82)
【請求記号】一〇-996
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【書名】毛詩 存第六唐蟋蟀詁訓伝第十
【編著者】漢鄭玄箋
【書写事項】〔初唐〕鈔本(延喜頃訓点)
【巻冊】巻子一軸
【書誌事項】新補表紙、本文楮紙
1紙縦27.2×57.5㎝(截落あり)全5紙(全長約287㎝)‎
烏糸単辺界高約21.0㎝
有界毎紙23行(第一紙21行)毎行14字
朱筆仮名点・ヲコト点(明経古点)・声点(四声)、〔延喜年間〕墨筆(朱筆補)、 角筆仮名点・ヲコト点(明経古点)、〔延喜年間〕破音・声点(四声)、青紙不審紙
大正九年五月狩野直喜跋あり、又年月未詳続跋を付す
印記「狩野直‎喜」「子温」「直喜」「君山」「雲邨文庫」
【解題】毛詩は詩経のもとの名で、漢の人、毛亨が伝えたところから毛詩ともいった。儒教教典の一、紀元前6世紀頃作られたと思われる中国最古の詩集である。
 本書は、平安中期の初め、延喜年間前後の訓点が加筆されており、漢籍訓点資料の中では現存最古のもの。
 狩野直喜博士は、本書を骨董的な価値を超えて、経義を解する上で役立つ点を高く評価する。もと、山城の国、鳴滝の常楽院に蔵されていたが、大正初めに東京の和田維四郎氏の蔵に帰したという。博士は本書を和田氏から借りて影印し、内外の学者に配ったのち、大正九年(1920)に和田氏に返却するに際して、跋文を書き足し、その学術的価値を宣揚したものである。その後、博士は、この本を敦煌石室遺書にある毛詩残巻(パリ国民図書館)とも対校し、「解覯」、「祛袂末」、「斥取者」など、両者に共通する古形を確‎認しているが、書体の点で、この本が敦煌本に勝ると断じている。‎
(『岩崎文庫貴重書解題Ⅰ』p.1)
【請求記号】一-A-3
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春秋
【書名】春秋経伝集解 存巻第十宣公上
【編著者】晋杜預撰
【書写事項】保延五年(1139)写清原頼業訓点本
【巻冊】巻子一軸
【書誌事項】改装後補渋引無地表紙、後補軸、本文楮紙黄染
1紙27.2×57.0㎝(改装時天地断截あり)全13紙(全長約1101㎝)
烏糸単辺界高20.3㎝
有界毎行15〜17行(第一紙6行巻末11行分)
奥書「保延五年五月十八日受庭/訓了/頼業」「点了/頼業」又別筆「応安二年十一月十二日於柳市感得乎 菅在貫」朱筆ヲコト点(明経点)・声点(保延五年)、墨筆ヲコト点(明経点)・片仮名訓点、声点、傍注、別墨筆片仮名訓点(応安二年菅原在貫か)
一部紙背に書入あり
【解題】春秋は儒教経書の一。魯国の史官の記録を孔子が整理編纂したといわれる。紀元前772から481年迄、242年間の諸国の事件を倫理的立場から批判し、整理したものである。この春秋の経文に3種の注釈があり、その中孔子の弟子左丘明の作と云われる左氏伝に、晋の杜預(222-85)が注をつけたのを集解という。 本書は、平安後期の秀れた儒者である明経博士清原頼業が点を加えて所蔵していたもので、平安朝院政期清原頼業が明経道博士家の学を受けた原本。頼業による訓点があり、本文、訓点ともに平安朝院政期、明経道博士家の学問のあり様を示し、歴代明経道博士家の基本となる明経点の祖となった原資料である。 紙背の注は、頼業が18歳で庭訓を受けた時の訓点であり、奥書識語によれば、本書はその後中原康富、菅原在貫と伝領された。(『岩崎文庫貴重書解題Ⅰ』p.3)
【請求記号】一-B-5
画像
 史部
 集部
重要文化財
奈良時代
平安時代
鎌倉時代・南北朝
室町時代
江戸時代
 経部
 国書