江戸から世界へ

このセクションでは、江戸が世界に向って開かれて行くプロセスを示す。

このセクションでは、江戸が世界に向って開かれて行くプロセスを示す。まず、日本の存在を世界にはじめて知らせた資料に13世紀のマルコ・ポーロの『東方見聞録』が有名であるが、東洋文庫にはこの書の15世紀の古版本(図69)が秘蔵されている。16世紀になると、ザビエルなど、イエスズ会会士(宣教師)が平戸、豊後など九州で布教を始め、織田信長の関心を惹いた。会士が本国に伝えた書簡にはキリスト教に帰依した日本人の行動が記されている。17世紀の江戸開府後は、イエスズ会士の活動は禁止され、世界への窓口は長崎出島のオランダ商人を通じるものに限られることになる。しかし、ここから医学を始めとする蘭学(西洋学)の知識が流入し、18世紀から19世紀にかけて、前野良沢、杉田玄白、桂川甫周など、蘭学者を中心に日本の知識人の目は徐々に世界に向って開かれていく。医書『解体新書』(図72)、オランダ語字書、世界地図など、この時期に江戸で刊行された資料は豊富である。中にも長崎オランダ商館の医師として来日したドイツ人、シーボルトは、地理学、人類学、動物学、植物学など多方面から日本を観察し、記録して、日本を世界に紹介する上で、大きな貢献を果たした。これに触発されて、欧米諸国も日本への関心を高め、19世紀中葉には、アメリカ、ロシアの艦隊が武力を背景に通商を迫り、遂に開国に至る。

解説:東洋文庫理事 田仲一成

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