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梅原郁編『唐宋編年語彙索引』データベース

序に代えて

梅原 郁

 東洋文庫長の斯波義信さんから、「寄贈を受けた宋代関係の史料語彙集成の中から、三万枚余のカードを取出して、梅原郁編『唐宋編年史料語彙索引』の題名で、東洋文庫から冊子体で出版すべく、文庫の中国社会経済史用語解作成チームの手で作業を進めている。ついては、この出版物に「序文」を書いて欲しい」との御依頼を受けた。私としては思ってもみなかったことであり、斯波さんはじめ、関係された方々に心より厚く御礼申しあげる次第である。ただ私は、一方で忸怩たる想いが心中を去来するのを如何ともし難かった。この索引は極めて雑駁な内容で、しかも公刊とか公表を全く意図していなかった個人的なものであるためである。  私は数年前、加齢による著しい視力の低下のため、研究の継続が困難になった時、学生時代以来、五十年以上採録し続けてきた、宋代を中心とした中国史の語彙史料をどうするかについて思い迷った。結局は斯波さんのひとかたならぬ御好意によって、東洋文庫に寄贈させていただくことになり、胸のつかえがおりた感じでホッとした気持になった。私としては、宋代研究者が多数出入りされる文庫の、宋代研究室の一隅にカードボックスを置いていただき、必要に応じてそれを検索・利用していただくだけで十分だった。加えて、この度の作業にも、何の御手伝いもできず、全部を斯波さんの御高配にまかせ、それなのに序文を求められるとは、全く恐れ多いところである。しかし折角出版して頂く語彙索引に対して、その成り立ちや内容の、私しか判らないことを書きとめ、利用される方々の参考に供することも、やはり一つの責任と義務と考え、以下の小文を綴って、序に代えさせて頂くことにする。

 私が京都大学の三回生となり、東洋史を専攻に選んで、研究者への歩みを始めたのは昭和三十年(一九五五)の春であった。中国で人民共和国が成立し、まだ日も浅い当時、日本の中国学界では異常ともいえる熱気が充満し、新中国に学び、唯物史観による発展段階説の正しさを認識し、新しい中国研究を樹立しなければいけないといった雰囲気に周囲は包まれ、我が国でも中国革命を学んだ革命を実行すべきだと絶叫する研究者まであらわれた。 内藤湖南や狩野君山を直接の鼻祖とする京都大学の中国学は、私が進学した頃は、宮崎市定、吉川幸次郎両先生が歴史、文学の主任教授で、いわゆる京都学派の伝統を継承し、その学統を遵守していたといってよかろう。それは一口で言えば、旧中国の文言資料、ひらたく言えば漢文を、ひたすら読み続け、中国の一流学者に近い水準にまで到達しようと意図するものであった。従って、京都の中国学は清朝考証学の亜流で、現代中国の研究には殆んど役に立たぬ、と冷笑されても、その学統の内容を変えることは全くなかった。  東洋史に入ってどの時代をやるか、宮崎先生に御相談したところ、特に希望がないのなら、宋代は史料も豊富だし、上下の時代のことも併せ考えやすいから、宋代にしてはどうかと言われた。ではそのためにどう勉強すべきかおたずねすると、『宋史』の列伝でも読むことから始めなさいと教えられた。当時は二十四史の標点本などまだかげも形もなく、大部分の人は図書集成局の鉛印本くらいしか手にできず、百衲本などは高嶺の花であった。私は父親に『宋史』を買って欲しいと頼んだところ、偶然にも字が比較的大きい五洲同文局石印本を手にすることができた。現在ではこんな板本を見ることなど皆無であろうし、従ってここから語彙を集録していたカードも、他の板本では丁数(葉数)が合わなくなってしまう。それはともかく、この『宋史』で列伝を読み始めたが、全くといってよいくらい判らず、朱筆を持ったまま、白文の『宋史』の前で立往生していた。丁度この頃、吉川先生とお会いした折、先生は次のように教えて下さった。「君が宋代をやるのはよろしいが、文献の量でいうと、唐代までと宋一代で大体同じ位になるだろう。それを全部読むためには、多分二十年くらいかかると思われる。但しそれは、一日正味八時間、机の前でそれらを読むことが前提になる」と。関西弁で「一日八時間、正味本を読むのデッセ」と言われた先生の言葉が、今も耳朶にこびりついて離れない。また同時に先生は、「ホンというものは最初から最後まで読むもので、利用できる都合のよい部分だけを読んではいけません」と厳重に諭された。この点については宮崎先生も同じで、「何か理論か仮説をもって、それに都合の良い史料だけを集めることは、絶対にしてはいけない」と八釜しく言われていた。  三回生の夏休み前に、両先生からこうした教示を得ても、実際にそれをやる自分は五里霧中で、手もとの『宋史』も一葉に数カ所しか点がうてない。八時間はおろか、十分間も続けられない状況であった。しかし、同時並行的に大学の講読や演習で、次から次へと毎日漢文を教えこまれていると、微々たる歩みにせよ朱筆で点が切れるようになってゆく。正直いってどうやら東洋史の周囲の状況に見当がつくようになったのは、大学院も博士課程に入ってからのことで、三回生から五年の歳月がたっていた。  大学院に入って『続資治通鑑長編』や『元典章』の講読が始まると、佐伯富先生が中心となった語彙索引の作成に出会うことになる。当時すでに佐伯先生は「索引の先生」の異名を冠せられ、多くの語彙索引を作っておられた。講義題目に「資料蒐集」という文字が加えられておれば、それは語彙索引の作業を伴うことを意味していた。三時間から四時間の授業の最後に、その日読んだ『長編』や『元典章』の語彙を先生の指示に従ってカードに筆写してゆくことになる。これによって私は語彙の採録の要領について教えられることが多かった。そこで、佐伯先生の方法を真似て、自分も読んだ本の語彙を採録してゆく作業を欠かさず実行するようになった。大学院の博士課程に入った頃から、現在文庫に寄贈したカードは作られたことになる。  毎日八時間本を精読し、カードに語彙を記入する作業は、いわば一つの目標で、現実にはその通りにはいかないが、私はできる限りそれに近付く努力はしたつもりである。「そんなことをして何になるのか」と必ずきかれることであろう。具体的に論文史料を探す目的もなく、漫然と本読みを続けても、あまり意味のないことのように多くの人々の眼には映るかも知れない。しかし、私はそうした日常の漢文読みの中から、重要な研究テーマが浮かびあがってくるのではないかと思っている。一、二例を挙げてみよう。『宋史』の列伝は履歴書を縦につらねたようなもので、面白くも何ともない。これに句点を打って読んでいっても正直言って退屈なばかりである。しかし、他の正史と比較して、こんなつまらぬ本が何故存在するか、考え続けている間に、実はそれは、並んでいる漢字の表面を読んでいるだけであり、その裏側により注意を払わねばならぬことに、次第に気付きはじめる。吉川先生は、別の機会に、「君『宋史』を読むのは良いが、同時に『旧唐書』も読みなさい」と仰言って下さった。最初は意味が判らなかったが、読み続ける間に、唐と宋の相違がクッキリと浮かびあがって来るように感じられてきた。先生が宋代に足場の置かれた『新唐書』ではなく、わざわざ『旧唐書』を読めと言われた理由が、次第に判ってきた。『旧唐書』の雰囲気は『宋史』とは全く違ったものである。ではどこが違うのか。宋代に成立した「士大夫」なるものは、何よりも皇帝支配に協力し、それを支える政治的人間でなければならない。その位置づけは彼らの官職に凝集している。幾つかのカテゴリーに分れる当時の官職の組合せが、その人物の経歴、政治的・社会的性格を正確にあらわす指標となっている。私が宋代の官僚制度を研究テーマに選んだのは、宋代官職の仕組が正確に判っていないと、『宋史』の重要な中味が十分に読みこなせず、唐と異る新しい皇帝政治の構造が理解できないと気付いたためであり、それは碌に読めない『宋史』と睨み合って呻吟した結果でもあった。  いま一つ別の事例を挙げよう。『永楽大典』から抽出された『吏部条法』という有名な書物がある。私はこれを何回か読んでみたが、良く判らぬ所が多く、用語もまた他に類例の少ない特殊なものが使われている。読むたびに消化不良になり、理解しずらいのは何故だろうか。私は使用されている語彙を集め、他と比較してみた。その結果、『吏部条法』に 似た用語を持つ文献は『宋会要輯稿』くらいであることに気が付いた。ということは『吏部条法』という書物は、吏部の実務を担う、上級の胥吏が使っていたものではないかと想定するに至った。それは吏部の士大夫官僚が坐右に置き使用するものではなかったろう。また『宋会要』との類似は『宋会要』そのものが多く胥吏の手に成るものに他ならなかったことから推定できる。法制史家はそうしたことに注意されていないが、書物をくり返し読み、語彙カードを採って検討してみると、このような結果が出て来る。士大夫の感覚でこの本を読んでも、十分に咀嚼できない理由もわかってくる。

 前置きが少し長くなったが、本題のこの索引の内容や性格について触れておきたい。私も佐伯先生の真似をして、B4の白更半紙を10センチ余り×2.5センチに截断した小紙片を大量に作り、そこに五、六字の語彙と、原典名、その所在巻数と丁数の裏表、洋装活字本ならば頁数を書きつけた。それは図書カードのような立派なものではなく、文字通り吹けば飛ぶような紙きれに過ぎなかった。その紙片を入れる長さ40センチほどの引き出しとそれを五十本収納する木製ボックスを作り、引き出しには、こまかく分類した五十音順の見出カードを作り、該当する所に語彙紙片を順次挿入していった。引き出し一本に三千から四千枚近くの紙片が入るから、それが五十本あれば十五万を超える数となる。  最初にもお断わりしたように、この索引は私個人の利便を何より優先させ、結果的には東洋文庫に寄贈させて頂いたものの、公刊して研究者のかたがたの便宜に供しようといった意図は全くなかった。そのことはこの索引を使っていただく方々に、多大の御不便をおかけする原因となるが、それはお赦しいただくほかはない。毎日のように宋代の文献史料を読みカードを採ってゆくといっても、一冊の本だけを一日中読んでいるわけではない。私は性格として、二時間か三時間単位で仕事に区切りをつけ、時間が来れば翌日にまわすことが、身についていた。従って一日に何種類かの性格の異った史料を読むことが苦痛ではない。そこで採録される語彙の種類や性格が必ずしも一定しなくなる。むろん大学時代とあとに研究者となってからでは、語彙の選択なども大きく変化する。それやこれやで、とても人様の御覧にいれるような代物ではなくなる。この点は今後この索引を利用される方にあらかじめお断りしておく。ただ、すでに活字になって刊行された『東京夢華録・夢粱録等語彙索引』と『慶元条法事類語彙輯覧』のように、最初からハッキリした目的で作った索引も時には存在する。これらは、そうした書物をより正確に読むために、まずその用語をできるだけ多く、系統的に採録しており、この方面を研究される方にお役に立つこともあろうと思っているが、これらは寧ろ例外に属する。  次にこの索引で最もご迷惑をおかけするであろう原典の使用テキストに言及しなければならない。語彙蒐集を始めた五十年前には現在のような二十四史の標点本をはじめ、「唐宋史料筆記」といった活版の簡便な書物などなく、どのようなテキストから語彙を採録するかの選択の余地は限られていた。私の場合は、あくまでも自分の左右にある、即ち手をのばせば何時でも容易に使用できるテキストを使う以外に方法はなかった。テキストの性格はまちまちで、木版本から、万有文庫や叢書集成の活字本に至るまで、兎に角あるものを使用せざるを得なかった。特に自分で朱筆を使ってしるしをつけるとなると、テキスト探しに苦労する。幸いにも台湾から比較的安価に『稗海』『学海類編』『知不足斎叢書』などのコピー版が出版され、そこに含まれた雑史や随筆を使うことで、ある程度の仕事はできた。しかし、恐らく台湾では原本を入手できなかった『宝顔堂秘笈』や『学津討原』などは含まれておらず、それらに収載されている随筆類を手もとで見ることができない。それでも大学などの所有本を、コピーしたり、筆写したりして間に合わせたが、必ずしも十分というわけにはゆかない。おまけにそうした本の丁数などはマチマチで、現実には、私蔵のもの以外、直接には利用不能のものが大部分となる。晩年には、特にそうした随筆を、新しく出た中華書局の筆記シリーズなどで採り直したものもあるが、いずれにせよこの語彙索引で、言葉は検出できても、巻数以外の情報はあてにできない始末となってしまう。  このほか、極めて重要な宋代の文献史料であるにも拘らず、本索引で採録されておらず、またあったとしても甚だ不完全なものも少くないという欠陥もある。その代表は『宋会要輯稿』や『冊府元亀』であろう。『宋会要』に関して言えば「刑」の部分は一応詳細に語彙を蒐めているが、それ以外は、その時々の必要に応じて、つまみ喰い的に採録した、無定見・無方針なものばかりで、しかも全体から見れば取るに足らぬ僅な分量である。ことは『冊府元亀』も同様で、とても『冊府元亀』の索引と言えるような代物ではない。誠に申し訳けなきこと乍ら、そうした点をお含みの上お使い下さればと、御願い申し上げる次第である。つけ加えれば宋代の制度研究で最も役に立つ、馬端臨の『文献通考』の語彙も採録されていない。『通典』が「礼」を根底に置いて、唐までの制度を詳説しているのに対し、『文献通考』は新しい皇帝政治の制度を根底に置いていると私は思っている。ただ私の常用したテキストは「九通」の中の図書集成局鉛印本で、とても索引の底本にできるようなものではない。安価な洋装本のある現在、有志の方が『文献通考』の詳細な語彙索引を作っていただければ大変役に立つことであろう。

 パソコンの普及により、特に東洋史の若い研究者の机の上には、その機器がいっぱいに置かれ、書物などの入りこむ余地さえもない時代になってきた。四六時中画面を眺めキーを叩き、それによって論文を読み、自分もそれを書くという学生や研究者を見ていると、私は取残された別世界の人間のように自分が見えてくる。索引なども、できるだけそのソフトを使い、従来の冊子体の索引などは時代遅れで無用の長物化するのでないかといった錯覚にさえ陥る。しかし、いくらコンピューターにかじりつき、限られたソフトから語彙や事項を検出しても、それらによって学術論文や著作ができると思っているならば、それはとんでもない誤まりである。中国学の研究や、論文を書くことは、そのようなご安直な方法では決してできないものである。早い話し、四庫全書の電子版を使い、あれこれ語彙を検索しても、明らかにその書物に該当する言葉が載っていても、それが出て来ないことが稀ではない。『宋会要』や『宋史』はじめ、分量の多い書物から、専用のディスクで検索してみても、出て来た大量の用例を、碌に漢文も読めない学生たちが、どう使いこなすのだろうか。私は冊子体になった索引もやはり大変有用であり、今後も使い続けられるであろうと確信している。必要な語彙を調べる時にも、その言葉だけでなく周辺の語彙を見たり、あるいは何気なくページをめくった時に、思いがけぬ発見をしたり、知識を得たりできる。それはコンピューターからでは求められない利点でもあろう。  終りに臨んで、斯波文庫長はじめ、御協力いただいた方々に、深い感謝の意をくり返して述べさせていただきたい。またこの語彙集は、東洋文庫に寄贈する前に、龍谷大学の渡辺久さんに頼み、長い日時をかけて、エクセル・データに入力しておいてもらってあった。それは、この度の冊子作成にも、ある程度お役に立ったのではないかと思われる。特記してその好意と努力に謝意を表しておきたい。

(平成廿八年正月晦日)





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