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●民船の螺集(南京郊外) 三峡の水路五十哩、その間灘所を數ふる六十餘個所、よく一棹の扁舟に身を托して長江を上下する民船の旅、揚子江筋一帶の交易は皆その船人の手で行はれて來た。鐵道が出來、汽船が江上を奔る今でも尚民船の往來は繁く、昔ながらの船人は命がけの灘航を板子一枚に托して居る。これは下關附近秦淮河近くに集つた民船の群。 (印畵の複製を嚴禁す)//●民船の螺集(南京郊外) 三峡の水路五十哩、その間灘所を数ふる六十余個所、よく一棹の扁舟に身を托して長江を上下する民船の旅、揚子江筋一帯の交易は皆その船人の手で行はれて来た。鉄道が出来、汽船が江上を奔る今でも尚民船の往来は繁く、昔ながらの船人は命がけの灘航を板子一枚に托して居る。これは下関附近秦淮河近くに集つた民船の群。 (印画の複製を厳禁す)
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