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◉南門と城外の商舗 (山海關) 隨末から唐宋に亙り戦闘の巷となつたこの地は、明の大宗洪武十四年中山王徐達は兵を率ひて來り、永平府界嶺口その他に三十二關を設け、別に山海關城を築いたのが今のそれだ。世祖が北京に奠都してから、淸帝が奉天の祖陵に行幸するや必ず此地に駐輦するを例とした。嚴めしい警備の武士達が詰所とした城外の平房も、今はいぶせき商舗に變わり、坐ろに時代の變遷を想はせる。 (印畫の複製を嚴禁す)//◉南門と城外の商舗 (山海関) 随末から唐宋に亘り戦闘の巷となつたこの地は、明の大宗洪武十四年中山王徐達は兵を率ひて来り、永平府界嶺口その他に三十二関を設け、別に山海関城を築いたのが今のそれだ。世祖が北京に奠都してから、清帝が奉天の祖陵に行幸するや必ず此地に駐輦するを例とした。厳めしい警備の武士達が詰所とした城外の平房も、今はいぶせき商舗に変わり、坐ろに時代の変遷を想はせる。 (印画の複製を厳禁す)
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