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●摩利海(二)の脇像(居庸關)多聞天の随身隷屬の一土民、破邪調伏の威におのゝけるその姿のおかしさよ。忽必烈が支那四百餘州を從へ、漢民族を征服し遠く西歐の天地をも震駭した意志は、よく之の四天王の彫刻に殘されて居る。蒙人は先に喇嘛敎を借りて漢人を調伏し、滿人は後に同じく喇嘛敎を用ゐて蒙古を征服した。恐るべきは宗敎の力である。(印畫の複製を嚴禁す)//●摩利海(二)の脇像(居庸関)多聞天の随身隷属の一土民、破邪調伏の威におのゝけるその姿のおかしさよ。忽必烈が支那四百余州を従へ、漢民族を征服し遠く西欧の天地をも震駭した意志は、よく之の四天王の彫刻に残されて居る。蒙人は先に喇嘛教を借りて漢人を調伏し、満人は後に同じく喇嘛教を用ゐて蒙古を征服した。恐るべきは宗教の力である。(印画の複製を厳禁す)

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