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●大沽の砲臺(白河々口)白河々口の左側に見ゆる砲臺は淸朝時代の遺物である。阿片戰爭以來敵國外患に惱まされた北京朝廷は海洋防備のために築造したもので、德川が品川に臺場を築いたと同じ時代精神を物語るものである。ペトンで固めた白堊の圓錐狀の砲臺が平凡な河口の三角洲平原に築立つて居る景色は、アレも矢張り支那近世史の一頁であることを知らしめる。(印畫の複製を嚴禁す)//●大沽の砲台(白河々口)白河々口の左側に見ゆる砲台は清朝時代の遺物である。阿片戦争以来敵国外患に悩まされた北京朝廷は海洋防備のために築造したもので、徳川が品川に台場を築いたと同じ時代精神を物語るものである。ペトンで固めた白堊の円錐状の砲台が平凡な河口の三角洲平原に築立つて居る景色は、アレも矢張り支那近世史の一頁であることを知らしめる。(印画の複製を厳禁す)

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