
↑クリックして再生

↑クリックして再生

↑クリックして再生
|
|
『月唐演義』李白の科挙受験の場である。
李白は科挙受験のため、母に別れを告げて、故郷の西蜀(四川)錦州から都長安に向かう。途中、湖州の宿で出会った張果老から、天秘訣宝書を授かる。
玄宗皇帝は、今回の科挙試の主査に、楊貴妃の兄の楊国忠を任じ、賀知章を副査とする。楊国忠は一儲けをたくらみ、高力士に受験生から登録料を徴収させたので、李白を含む貧乏受験生が騒ぐ。
試験当日、楊国忠は、李白が合格すると、登録料徴収の悪事がばれることを恐れ、李白の答案をろくに見ず、あくまでも落第にしようとするので、賀知章と対立する。ここで李白の答案として詠じられる詩は、いずれも李白の作ではなく、科挙試を詠った人口に膾炙する詩である。科挙受験への関心の高さがうかがえる。
以下、劇中で、引用される詩句を参考まで列挙する。
〇 無名挙子(受験生1)への出題とその答え
秋草縛秧父抱子
蔑須穿笋母子逢(民間の対聯)
〇 李白への出題とその答え
風吹馬尾千条散
雨打龍潭点点暈昬
〇身入文場筆戦收 客途不覚到中秋
月明銀漢三千里 人醉金池十二楼(『関帝霊籤』おみくじの第51籤)
竹池杯添豪士舆 桂花香插少年頭
今宵预将姮娥約 明日蟾宫任我游 ( 明/袁崇焕?)
袁崇煥は万暦47年(1619年)の進士。
〇雪案萤窗不惮労 胸中海闊与天高
一身豪气敲龍骨 五色文章換鳳毛
海底斬蛟何用剣 月中砍桂不須刀
英雄五百唯吾一 怎譲他人挂錦袍
伝清代文人黄景仁(黄仲則)作
〇自幼留心步月梯 読書未等暁鶏啼
吟詩猶恐驚神鬼 透気常懐掣電霓
附鳳腾身嫌地窄 乘龍出水恨天低
今宵与共姮娥约 明日登雲共结衣
解縉(1369 - 1415年)類纂書『永楽大典』の総編集。幼少期に詠んだとされる伝説的な「言志詩」。『解人頤』などに収録。
〇誰把長竿杖碧流 一声撃断謂江秋
两条玉带分還合 万粒明珠散復收
红蓼浮萍鴛鴦宿 白蘋江上起浮鷗
料応此処無魚釣 捲却絲綸別下鉤
明 呉鳴珂 試験官に才能をアピールして、中央に推薦された、という。
〇做春夢入秋不知冬夏
坐南宫守北殿——歇后语,语底は"不分东西"
李白と高力士の知恵比べ、として民間笑話によく出てくる。
〇月半月圆,世人亦称月半。日中日昃,人间尽道日中
「日中日昃(太陽が南中すれば、やがて西に傾く)」は、『易経』豊卦・彖伝(たんでん)による。
〇扇子画梅日日摇風枝不動 鞋頭繍菊朝朝踏露蕊難開
上聯は、明の嘉靖年間の探花林士章の殿試の逸話による。
〇楊国忠の出題と李白の答え
两猴裁木山中 这猴児也難能対句(鋸) 鋸を使えない⇒対句ができない
匹馬陷身泥内看畜生怎得出题(蹄) 畜生が蹄(足)を出せない⇒出題できない
楊国忠が李白を猿に喩えたのに対し、李白は楊国忠を馬に喩え、李白はたたきだされる。
蒼南の一人遣い木偶戯では、芸人がそれぞれ得意演目を分担しており、「月唐」は、橋墩鎮の陳爾白の演目である。橋墩鎮では、常設舞台が設けられるなど、今も木偶戯の上演が盛んだが、天后廟の階上を借りて上演したこの時も、上演の予定がどこから伝わったのか、上演を依頼した私たちが到着した時、会場はすでに超満員の盛況だった。
陳爾白は、人形や舞台の大きさは、黄朱璜が大きくしたものに準じているが、上演のやり方は、語りが中心で、人形の動きは少なく、「唱」の合間に、状況説明を挟んでいる。
|